出会いはそうさ宝物

いつだってずっと忘れないでそうさ君と僕らならいつまでも

「この気持ちはなんだ 君が好きなんだ」

いまから半年前ほどに、いろんなことに絶望して担当を降りてしまった。

 

誰かを応援するってことは少なからず自分の中で「これから人気が出てくれたらいいな」とか何かしらの目標を持っているわけで、目標を持つとどうしても「こうであってほしいな」「もしこんなことがあったら嫌だな」とか理想の自担像まで持ち始めてしまうので、厄介だと思う。

そしてもちろんアイドルだって人間だし、自分の理想とブレることもある。わかっているのに文句を言ったり、嫌になったりする自分が本当に嫌で、耐えられなかった。

 

「理想の自担」に一番近い、いやもしかしたら「理想の自担」そのものなんじゃないかな、というジュニアに降りることにした。

 

「理想の自担」を担当することは、極めて幸せだと思う。

雑誌のコメントも、テレビやコンサートで披露するパフォーマンスも、「自担がこういう人だったらいいな」という自分の理想内に収まっていて見ていて幸せだった。

何一つ文句が出てこない。それは降りたばかりだから考察が不十分ってこともあると思うけど、何より彼が自分の理想だったから。

 

しかしここで何が困るって、常に元担のことを考えては「こうなってくれたらいいのに」「いつか元担もこの景色を見る日が来たらいいのに」という文句が頭を埋め尽くしていってしまうこと。バク転を披露しているのを見て「バク転できたらいいのに」、楽器を演奏している姿を見て「やっぱり楽器はできた方が推されるのかな」…

 

一体わたしはここ大都会東京にいてまで、なぜそんなに元担である彼のことを考えてばかりなのか。

NHKホールでも、東京ドームでも、代々木第一体育館でも、シアタークリエでも、EXシアターでもそうだ。そしてきっと、TDCホールでもそうなんだと思う。

違う。場所なんて関係ないのかもしれない。わたしは常に元担のことを考えていた。松竹座に行くのを「我慢」してると感じるのだって、きっとそうだ。5月の大阪城ホールに行けなかったことだってちょっと引きずってるし、いつだってなんだって私の一番は変わっていなかった。

  

それに気づいてしまった以上、出戻りせざるを得ない。担当も元担も出演していないコンサートを見ていて、ふとそう思ってしまった。

 

今まで半年のしあわせな時間を失ってまで彼を一番に応援する、ということはつまりしあわせを求めて応援するということではなくなってしまう。なぜ私は彼を応援したいんだ?幸せを求めてるわけでも、見返りを求めているわけでもない。

 

 

 

この気持ちはなんだ?君が好きなんだ。